2019年度の定期協議(厚生労働大臣が出席する協議なので、私たちは「大臣協議」と呼んでいます。)についてご報告いたします。
令和元年9月5日、厚生労働省内で開催されました。厚労省からは根本匠厚生労働大臣以下、事務局が多数出席し、我々薬害肝炎全国原告団弁護団と向き合いました。
冒頭挨拶で全国原告団代表として、「全国の肝炎患者、薬害被害者の思いを背負って来ている。恒例行事にはしたくない。直前に肝がんが発見され、治療のため入院を予定している原告も見守っている。私たちは強い覚悟を持って、命がけで来ている。大臣ご自身のお考えで、大臣ご自身の言葉で伺いたい。」と発言しました。
続いて、「再発防止」、「恒久対策」、「個別救済」という私たちの活動の3本柱のテーマごとに協議しました。
時間的な制約もあり、大変厳しい協議内容でしたが、反省点を共有して、来年はより良いものにしていこうと思います。
以下、担当者から各テーマについて報告します(全国原告団代表 浅倉美津子)。
2008年1月、原告団・弁護団は「基本合意書」の中で「医薬品による健康被害の再発防止に最善かつ最大の努力を行うことを誓う」と国に約束させました。
しかし、薬害肝炎の和解後も、幾多の薬害が起きている現実があります。
基本合意の締結後、国は「薬害肝炎事件の検証及び再発防止のための医薬品行政のあり方検討委員会」を設置。
同委員会は2010年4月、「薬害再発防止のための医薬品行政等の見直しについて」と題する「最終提言」を公表しました。
最終提言は、薬害の再発防止の為には薬事行政を監視し評価する機関(第三者監視・評価機関)の創設を求めました。
第三者監視・評価機関の創設は、被害を被った原告・原告遺族に対して「責任を認め、謝罪をし、再発防止に取り組む」ことを約束した厚生労働省としては当然のはずでした。
私たちは毎年の大臣協議で創設を求め、作業部会で交渉をしてきました。しかし残念ながら最終提言公表から10余年も経つにもかかわらず、なかなか第三者監視・評価機関は設立されませんでした。
そこで、私たちとしては「今年こそは、この機関を創設させよう」と決意し、活動をしてきました。
ようやく2019年3月の薬機法の改正により、第三者監視・評価機関として「医薬品等行政評価・監視委員会」が新設される事が決まり、政府提案の法案として国会に上程されました。
しかし、この法案は今回の大臣協議の時点でも、まだ審議もなされていない状態でした。
2019年の厚労大臣への質問はこのような現状の中、法案が成立することを確信・期待し、成立後の新たな審議会の在り方について以下の2つに絞って質問をしました。
厚労大臣から期待するような回答はありませんでしたが、とにかく、2008年の和解で創設を約束をした厚労省ですから、新たな委員会が形骸化しないように見続け、今後も課題にしていきたいと思いました。
なお最終的に2019年11月、無事、上記改正案は国会で成立しました。
今後は、委員の具体的な人選、専門性を持ちつつ、省内の他の部局からの独立性を保った事務局の確立などについて厚生労働省と交渉を継続していくこととなります(東京原告団泉祐子)。
最終提言は、「薬害に関する資料の収集、公開等を恒常的に行う仕組み(いわゆる薬害研究資料館など)を設立すべきである。」としました。
厚生労働省は、「薬害資料データ・アーカイブズの基盤構築に関する総合研究」という課題名で研究班を立ち上げましたが、今日に至るまで、薬害研究資料館自体は実現していません。
2019年は、以下の3つの課題をもって、大臣協議に臨みました。
しかし厚労大臣からは、残念ながら噛み合わない回答が続きました。
結局、厚労大臣はロードマップについては、「関係者の方々とも幅広く意見調整を図っていく」というだけでした。
最後には医薬生活衛生局長から助け船を出されるような状況でした。
様々な薬害被害者団体から、資料は集まりつつあります。
今後は、薬害研究資料館を具体化させるための活動により注力していきたいと思います(大阪原告団武田せい子)。
恒久対策の今年度大臣協議のテーマは、「肝硬変・肝がん患者の医療費助成制度見直し」としました。平成30年12月にスタートしたこの制度は、予算規模にほど遠いきわめて少ない利用実績となっています。
その主な理由としては、「制度の周知徹底不足」、「助成を受けられる指定医療機関が少ない」、「制度を利用するための要件が厳しい(4か月の入院必要、所得制限など)」などが指摘できます。
私達は問題点をより明確にするために、全国の肝疾患拠点病院に対して緊急アンケートを実施しました。
その緊急アンケート結果も踏まえ、2019年度の要求事項については、下記の2点としました。
大臣協議当日は、アンケート結果や実際に助成制度に該当しない肝がん患者である原告のケースを紹介し、「要件緩和は必要とお考えですか?」の一点に絞って質問しました。
しかし、厚労大臣は、「昨年末にスタートした制度であるので、実態把握したい」と用意されたペーパーを繰り返し読むだけに終わり、全くかみ合わない答弁でした。
今年度は残念な結果でしたが、今後も患者団体や各地拠点病院などと連携しながら、この制度が本当に必要な患者に届くよう、声を上げ続けていきたいと考えています(九州原告団代表出田妙子)。
個別救済では、劇症肝炎患者のご遺族2名が、厚労大臣に対して、劇症肝炎患者と残されたその家族の苦しみを自らの声で届けました。
これに対し、厚労大臣からは「同情を禁じ得ない」という回答がありました。
劇症肝炎患者は、C型肝炎に罹患した後、急激に肝数値が上昇、肝性脳症による意識障害が生じた後、1ヶ月から2ヶ月足らずで死亡するという経過を辿ります。
死亡という究極の被害が生じているにもかかわらず、慢性肝炎を経ていないというただ1つ理由から、救済法上の死亡被害相当の救済を受けられていないのです。
そこで2019年の大臣協議の個別救済のテーマとしては、以下の2点としました。
特に今年度は、3名の原告が厚労大臣に対して、直接意見陳述をして被害を訴えました。
最後にその意見陳述の内容をご紹介し、2019年度大臣協議の報告の締めにしたいと思います(東京弁護団櫻田)。
私は、劇症肝炎で妻を亡くしました。
妻は、次女を出産の際、出血が多く、フィブリノゲン製剤を投与されました。退院後しばらくして、妻は体調不良を訴え、再入院しました。その後、突然、劇症肝炎で余命1、2か月と宣告されました。妻の症状は急激に悪化し、日に日に体力がなくなり、自分でトイレも行けなくなりました。
妻は、意識が朦朧とするなか、生まれたばかりの次女に会いたがり、しかし、会わせても、次女を抱く力すら残っていませんでした。
妻は、まもなく昏睡状態となり、製剤投与から2か月後、38歳の若さでこの世を去りました。二人の幼い子供を残して、さぞ無念だったと思います。
妻が亡くなって、当時9歳の長女は私の元で必死に育てました。しかし、次女は実家に預けなければならず、長女と同じに一緒に暮らして愛情を注ぐことができず、本当に申し訳なく思っています。
いまだ、長女も次女も妻の話をすることはありません。特に次女は、「自分が生まれなければ妻は亡くならなかった」という複雑な思いがあるようです。
大臣、お願いです。妻の死を軽く扱わず、この問題を積極的に解決していただきたいと思います。
私は、劇症肝炎で母を亡くしました。
母は、65歳のときに子宮摘出手術を受けました。手術後に出血が続いたため、大学病院に転院し、そこでフィブリノゲン製剤を投与されました。しばらく経ちまして、母から直接電話があり、「止血もできた。先生から内科に移る。元気になったら東京に遊びにいくから。」と話していましたのでほっとしていました。しかし、電話の5日後、母は突然全身痙攣を起こしました。翌日、私が病院に駆けつけますと、母の意識はまったく、ほとんどありません。何を話しても全く反応しません。ただ「フーフー」「フーフー」と言っているだけでした。その後血圧が低下し、尿が出なくなり、意識は回復することなく、製剤投与から1か月半後に亡くなりました。
子宮摘出手術自体は、医師からは特に心配ないと言われており、手術後には、同居していた弟夫婦に子供が生まれる予定で、母は、三世代での幸せな生活を楽しみにしておりました。
しかし、母は、劇症肝炎となって、あっという間に命を奪われました。家族に意思を伝えることもできず、死に向けた準備をする間も無く、亡くなったのです。もちろん、私たちも、母に何も伝えることができませんでした。
根本厚生労働大臣、先ほどの原告の奥さまも私の母も、製剤投与後、劇症肝炎になり亡くなりました。それなのに、感染して症状が出ない無症候の場合と同じ救済しか受けられないのは理不尽です。放置されたままであることに納得できません。根本大臣、お願いです。この不平等をぜひとも解消していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
私は、1988年、第二子出産の際にフィブリノゲンを投与され、C型肝炎になりました。
産後、すぐに体調不良となりました。一ヶ月後には体がまったく動かなくなってしまい、病院に即入院となりました。医師から、「劇症肝炎かと思った」と言われたことを覚えております。
幸いにも症状が治まり退院することができましたが、その後も体調がすぐれない日々を送っていました。
2006年秋に、突然、第二子出産のときの産婦人科の先生から電話がかかってきました。先生とお話ししたのは18年ぶりでした。先生の第一声は、「大丈夫か」でした。先生は、私が産後にC型肝炎にかかっていたことをずっと気に掛けてくれていました。そして、カルテをずっと取っておいてくれていました。
私は、この先生のおかげで、カルテが保存され、フィブリノゲン製剤を投与されたことを証明することができました。ただ、C型肝炎のときのカルテは、病院では廃棄してしまっていたため、急性肝炎の症状を説明する資料が足りず、裁判では苦労を致しました。
私は、産婦人科の先生がカルテを保存してくれており、また、先生からの電話によって、C型肝炎の原因が、フィブリノゲン製剤であったことを知りました。そして、裁判で、救済法による救済を受けることができました。
しかし、他の病院では、まだまだカルテの調査が進まず、連絡がきていない患者さんが多くいると聞いております。
同じ被害者という立場なのに、私とは異なり、未だに救済を受けていない患者さんがたくさんいるのです。
根本大臣のお力にて、患者さん、被害者の方が一日でも早く救済されるようにしていただきたいと思っております。私の話を聞いて大臣の率直なご意見をお聞かせください。